六日の菖蒲、十日の菊
お腹いっぱいカレーを食べて
初めて行く映画館の匂い
赤くて新しいシートに腰を下ろす
この二日間は廃人だったな
ずっとおふとんと居た
全てのやる気をおふとんに吸い取られて
寝るのに飽きたから外に出た
昔すきだった子供っぽくて赤い下着
部屋の隅にいつのまにか溜まってるほこり
会えると思ってた人からの連絡はまた来なくて
結局だめになった
だめだぁ
本の短編集は少し苦手だけど
映画は座って仕舞えばスクリーンを見るほかやることがないのだから楽だ
21世紀の女の子を見た
感性が爆発してる
足の指の毛を数えるロマンチックさに
共感してくれる男の子は限りなく少ないだろう
エンドロールは歌う
「あなたの地獄を指でなぞる」
私は地獄すら知らない
私が大森靖子の新宿を聴きながら
大荷物で新宿に通っていた時期
あれはたしかに私の地獄だったけど
誰かの地獄をなぞるほど
誰かに寄り添えた事はない
あんなにセクシーなシガーキスを
私も誰かとしてみたい
多分むせてしまうけど
タバコの味で喉を焦がしてもいいから
吉祥寺はカップルが多くてびっくりした
こんなにも世の中は男女で溢れてるのに
私は全然ひとりで平気なのが
ばかみたいだった
サークルを続けられないかもしれないと思い始めたのは
2年目の夏頃
私は特に歌が上手いわけでもなく
ただ歌が好きで
素敵な歌詞がいい声で
歌われるのが気持ちよくて
アカペラサークルに入った
2009年
小学校の頃見つけた
鬼束ちひろさんの月光を歌ってる
ハモネプのμが
あの時は
とんでもなくかっこよく見えた
大学に行ったらアカペラをやりたいと思った
(この時の17期多すぎです)
(今が少ないのか)
毎回の全練で聞くミニライブが
本当に最高にかっこよかったし
歌っていると人は何倍もかっこよく見えるんだなと思った
わたしには分からない音の世界が存在して
沢山のライブが
沢山のバンドが
本当に音楽を楽しんでいて
さいこうな世界だなぁと思った
さいこうな世界を辛くしたのはわたしで
微妙な音の違いがわからないとか
なんの仕事もしてない事だとか
自分がやらなきゃいけないことを
サークル以外でも重く感じて
逃げるみたいな形になってしまったけど
私はちゃんと
別の場所でも居場所を見つけてみせるよ
早稲田のアカペラサークルに入れたから
自分とは程遠い偏差値の人たちと友達になれて
いろんな才能を見せてもらった
(先輩バンドを応援するために大阪に行ったりしたのも楽しかった)
「ねえもう一回しよう、はじめから」
一度ダメだと思ってしまったものを
もう一度そのまま始めることは本当に難しい
恋愛だって趣味だって
目新しい何かがなくちゃ熱は上がらない
私は憧れてた
いつもは普通に見える先輩が
歌い出すと途端にスターに見えたこと
ラブホのキラキラの浴槽の中で
好きな人がペディキュアを塗ってくれること
映画の中では
全部は描かれないけど
私のことは、私は全部見なきゃいけない
勝手に撮って上映してくれはしない
気にかかってる人からは全然連絡が来ないし
全然連絡が来ないから、
気になってしまうのかもしれない
私がサークルを辞めたらきっともう会わない人が
本当にたくさんいるだろうし
逆に会ってくれる人もなんか
サークル話がどんどんわからなくなっていく私に
何を話してくれるんだろう
なんでも話してくれよなほんとうに
なんでも聞きたいからな
ふ~
(超懐かしい、ベース?笑笑)
今でもモニから自分の声が飛び出してくるの慣れないです
「やめたら何するの?」
って聞かれて
就職の決まってないニートみたいな気持ちになった
パッと答えられない自分を
どうしても正当化したくなった
日本で大学に行く選択をする学生は
たったの6割にも満たないのに平気で
「出身大学は?」
みたいな顔して聞いてくる大人がたくさんいる
残りの4割の立場はなんですか
そのくせ大学生は遊んでばかりいると
専門や高卒で
一足早く社会人になった人たちに馬鹿にされ
「バイトは仕事とは違って楽だかんな~」
と抜かす
ってそんなの
大人げないからな!!!!
全然かっこよくないからなほんとに
「やめたら何するでもないよ」
とわたしが言えば
怪訝な顔をするだろう
真っ直ぐに何かやりたいことを
しっかり握って生きてる人からしたら
何も掴まずに歩いてんのが不思議に見えるだろう
でも大丈夫にするから
多分
3年が終わったら休学したいとか
そんなことを思ってたのも事実だけど
次に私が目指すのは休学です!
ってわけでもない
海外に憧れてるから
何も考えずに恋愛したいからとか
そして小説家になりたいわけでもないから!
そんなんで辞めるわけじゃないよ!
なんかすごい勢いで打ち込んでしまったけど
まあいいや
ChocoCrunchに入って
みんなとたくさん楽しい思い出ができて良かったです!
超だいすき!!
シャンパンフラッシュの街

小学生の時からオシャレな街といえばパリだった。
可愛い文房具や小物にはいつもエッフェル塔がプリントされていたし、あの頃は名前も知らなかった凱旋門は憧れのパリの建造物だった。
世界の町の名前が入っていたらかっこいいと思い込んで
メールアドレスにParisを入れた。
Parisに行ったことも無い私が
そのメールアドレスをもう8年も使い続けていたなんて笑える

東京タワーやスカイツリーにも何度か登ったけど
ついに夢見たエッフェル塔に登ることができた
自分で遠い国の憧れの場所に行けてしまう
少し大人になってしまったことが切ない
ダイソーで集めたエッフェル塔の形をした置物を眺めて写真を撮っていた頃の私には
もしかしたら
もう戻れないのかもしれない

パリのかっこいい人や街を見て思う
私の長らく憧れていた街は裏切らなかった
右も左も映画みたいで
どれもカッコいい雑誌で見たような風景だった
例えば私が
いつかこういうところに住んで
今見える人たちのようにかっこよくなって
スタイリッシュなひとになれても、
いくら時間がかかっても
本当のパリジャンにはなれない気がしてしまう
私のルーツは悔しくも既に
紛れもなく日本にあって
日本語で作られて、
日本の文化で染め上げられている
日本を出たいと何度思って
海外に旅行に行く度に
嫌なところばかり見ていた日本の良いところが見えてしまって邪魔をする
きっとどんなに好きでも
私がパリに染まり上がる未来は見えない

指先を冷たくしてセーヌ川
クルーズから見える可愛くてお洒落で統一された建物が全部嘘みたいだった
エッフェル塔でさえ本物に見えなくて
私はパリにいるという実感が全然無かった
夢が1つ叶ったというより
叶ってしまったという方が正しい気がする
目指してきたものに辿り着いてしまえば
次に見上げるものは一体何
少しの虚無感と一緒にセーヌ川で2時間流された
かじかんだ手で嘘みたいな本当を写真に撮り続けた

旅先でやっと連絡が取れるようになった時
一番に連絡をしたいと思える人が
たしかに私にはいない
何してるか四六時中気になるような想い人がいたらどんなに幸せだろう
似通った生活を送っていたはずの親友と
全然違う道で
いつのまにか全然違う感性が生まれて
お互いの知らない世界を互いに見てきて
不透明な事実が増えて行く
お互いのことならなんだって知ってたあの頃とは確実に違う
それが寂しくて少し誇らしい
その人のことなら
なんでも知りたいと思える人が
私には何人いるかな

「私たちパリジャンはパリの鼓動を感じるためだけに歩き回ります 」
語学学習CDみたいな喋り方の音声ガイドがイヤホンから高々と話す
たしかにパリの街を歩くのは楽しかった
鼻が高くて彫りが深くて
映画の主人公みたいな人がいっぱいいる通り
緑や真っ赤なコートが
これ以上ないくらいに似合って
足音さえ街を彩る
オシャレにいくら疎くても
全部疑いようのないくらいオシャレに見えた
アジアの旅行客の私の顔は似合わないように思える
それでも穏やかで甘く凛とした街の雰囲気に包まれて
考えた
学生時代から海外に飛んで
語学留学とかなんとかたくさん理由をつけて
自分の成長過程に海外を組み込む
自分のルーツやアイデンティティを日本だけのものにしない生き方は
もう遅いんだろうか
それを選んでも
将来正解だったと生き抜く覚悟は
私にはまだ無い

「個を大切にする国だよ」
尊重され得る個が、私にはあるだろうか
「将来何になりたいの?」
っていう質問に
お花やさんとかパティシエって答えてた頃とは違う
もっとずっと現実味を帯びた近い将来が怖い
将来はパリジャンになって
鼻と背が高くてかっこいい人が恋人で、
チーズとワインとフランスパンに囲まれたい、くらい思い切りのいいことを言えたら良かった
やりたいことが見つからないなんてぬるい事を言ってる暇があったら
昔憧れてたものを全部試してみようと思った

地下鉄で迷ってスリにおびえて
ディズニーではしゃいだ
エッフェル塔に登ってパリを歩いて
死ぬほど臭いチーズを手でちぎって完食
慣れないBonjourの発音に恥ずかしくなりながら
拙い英語でやりくりして
もう余裕なんてない
全てが精一杯だったけど
最高に楽しいパリでの3日間だったなぁ
一度も晴れなかったけど
曇りも雨も素敵にしてしまう都市だ
パンパンで重くなったスーツケースを
両手で押して
お菓子を肩から下げながら
パリに憧れを置いてきた
いつかまたあの嘘みたいに美しい街を
しっかり見れるような人になるまで
誘惑のモロッコ8日間
毎年食べていた恵方巻きを今年は食べなかった
一人暮らしで変わったことは山ほどあったけど
一瞬で慣れてしまう
変化に貪欲でありたい
ターキッシュエアラインの機内食は美味しくて
ファンタビを見ながら考え事をしてた
たくさん写真を見返して
次はあそこに行きたいとか
ノルスタジックな気持ちに浸る
羊と鋼の森も見て
恩田陸の文学的な感じが伝わってきて本を読みたくなった
映画6本、本1冊を読み終えた旅
イスタンブールの空港は案外広くて
ボヤボヤした体を動かして
ミールチケットでパサパサのデカイバーガーキングを頬張りながら過ごす5時間
喋ってたらあっという間に終わった
モロッコについてまたバスに揺られる
こんなに遠いところに来たのは初めてで
1つ1つに感動しながら夜
暖色のランプが点々とするシャウエンのホテルに到着
優しくて薄味のモロッコの料理
顎関節症のパン好きはタチが悪い
忘れられない1日は
私が生きてきた中にもいくつかあったはず
シャウエンの青い街のなかで
夢の中みたいな景色
この1日を、
このモロッコでの時間を
私は死ぬまで覚えておきたい
ホテルマンも、レストランの店員さんも
モロッコ人は総じて鼻が大きくて
かっこよくて日本人に優しい
長い長いバス移動の中
車窓からは本当に広大な自然と
馬や羊、ヤギやロバの野生動物が沢山いる
サファリパークの中を大型バスで
延々と走る感覚
山の表面は日本では見られない色や質感で
もらった水を飲みながら景色に夢中になる
ヤギの頭や鶏、肉塊が並ぶマーケット
古着が雑多に並ぶフリマ
外国感に揺られながら
日本と時差8時間の街を歩く
夜中、テレビから流れる
なんてことない野生動物の生態紹介番組みたいなやつで見た
知らない世界の
遠い地域の話
かわいた土色の芝生
砂漠に向かうバスの中は
少しずつかわいていく気がした
隣の人の納豆みたいな足の臭いに
気をつられたりしながら
うとうとしてまた7時間
時間なんてきっといくらあったって足りないのだから
間違えるまで同じことを頑張りたい
しくじるまで没頭したい
つまづいてもまだ挑戦したいと思えるものに
1つでも多く出会いたい
少しずつ少しずつ木も草も無くなって
抹茶を振りまいたみたいな山
色水を綺麗にこぼしたみたいな空
乾燥地帯には雲がない
ラクダに乗って見る朝日が
満天の星が
心地いい揺れと
肌を刺す冷たい寒さで記憶される
冬の砂漠の砂は冷たくサラサラしていて
夜明けのオレンジに映えた
タジン鍋の愛らしい形を至る所で見て
自分でも食べて
レンガを切り落としたような家の集落に
少しずつ慣れる
いつか世界史で習った
ベルベル人はここに住んでいた
王様っていう概念もわたしにはよくわからない
王宮や宮殿が建ち並び
アラビアンコーストみたい
なんて安い感想で浮かれながら
必死で覚えたカタカナの名前が
ここでは普通に使われて
私の知らない当たり前の世界が存在してる
たくさんのタイルで細々しく並べられた壁をいくつも横切りながら
すごい、すごいと声に出して
いくつもカメラのシャッターを切る
いくつも見たモスクの中で一番大きくてカッコよかったカサブランカのモスク
もやのかかった最終日を終えて
日本に帰る
丸一日ほどかかる帰路の飛行機で
コーラを飲んだ
読書灯の光に透ける茶色が清涼感を感じさせるのに
舌の上で甘ったるい
コップの内側に張り付いている泡が
少しだけ可愛かった
最後の一口は炭酸も抜けて
くどくて甘い別の飲み物みたいだった
着陸前の飛行機から見える千葉が好き
びっしり灯る電灯の白くてオレンジの街が好き
チラチラと光る車のランプも
血管を走る光みたいで楽しい
楽しかったなあ
モロッコに行ってきました
スーパームーン
703号室
いつも人前で絶対に入れ歯を外さないおばあちゃんの
歯がない声を
初めて聞いた
引越し祝いにと言って
おばあちゃんがくれたイチゴは
とても赤くて綺麗な形だったけど
固くてそんなに甘くなかった
顎関節症の私には
イチゴが噛めないなんて、
と軽く衝撃だった
私はちゃんと
おばあちゃんに
イチゴ美味しかったよと言ったっけ
電話がなるたび怖かった
訃報の電話なんじゃないかと怖かった
いつ行くかわからないんだって
震える母の声も
あやちゃんの成人式見たかったなぁ
という祖母のか細い声も
全部思い出すだけで胸がザワザワして
全身が赤く染まる
目頭に集まる熱を
必死に冷ましながら声を出す
電話越しに聞く母の声は
私よりもしっかりしていた
頑張れやって言ってももう苦しいんだと
頑張れねえやあ
って言われちゃったよ
そう言ったおばあちゃんを想像できてしまう
もうなにも考えられなくて
ぐわんぐわんの私と
肉声を聞いた母はどれほど
辛いんだろう
悲しかった
1か月もろくに食べてないおばあちゃんも
胆石の手術がうまくいったくらいでは
家に戻ってピンピンできると
本気で思っていたはずがない
これでもう少し調子が良くなれば帰れるね
気休めに言ったのか本気だったのか
本気で願っていた叔母と
声にならなかった私
おばあちゃん来たよ 頑張って しか
声には出せない
言いたいことも伝えたいことも山ほどあるのに
声には出せない
もうほとんど骨と皮だけのおばあちゃんを見て
入れ歯のない口で
たくさんの息を使って
あやちゃんと呼んでくれるおばあちゃんを見て
わたしは
完璧な笑顔を捧げることも
とても難しいことに感じた
母はバイト三昧のわたしに
お前も頑張れよと残して電話を切った
涙が溢れないようにレポートを打った
わたしは
たった1人の
おばあちゃんが死ぬかもしれないのに
マーケティングのレポートを打つ手は動かせた
時間通りにレポートを提出した
結局
成人式の後
おばあちゃんの病室に行くことができた
モルヒネで目を開けることも難しい
誰が来たかもよくわからず
手を動かすのもやっとだと聞いていたのに
おばあちゃんは
私を見た
しっかりと目を開けて
私に触れようとした
着物が好きなおばあちゃんは
もう何年も前から
あやちゃんの成人式の話をした
髪飾りは、帯は
何色を着るの
なんでも似合うよあやちゃんなら
毎年毎年わざわざ
浴衣を買ってくれようとしたし
お母さんに縫った
手縫いの浴衣は何着も家に保管してある
緑の祖母の手縫いの浴衣を着た時
いつもよりずっとはしゃいで喜んでいたなぁ
私の振袖を何度も何度も撫でながら
疲れちゃうから手を下ろしなと
叔母に言われても
ずっと両手を開いて手首を動かして
綺麗だよ
とっても綺麗だと
全身で表現する祖母に
涙が止まらなかった
私の振袖を見つめながら
買ってくれようとしていた髪飾りを見せて
やっとの思いで手を近づけて
私に触れる
顔を触る祖母の口はずっと開いたままで
息をする音だけが病室に響く
大きく手で丸を書いて
言葉にならない声で
世界一だと言ってくれる
私を世界一綺麗だなんて褒めてくれるのは
おばあちゃんしかいない
おばあちゃんはうちに来るたび
わたしをそんなふうに喜ばせては
シワシワの手で
また来るねと毎回私の手を握る
きっとこれが最後だね
母の言葉にまた泣けた
病室を出る時
おばあちゃんはもう私を見れなかった
思い返せば
「あやちゃん、あんまり頑張るなや」
最近のおばあちゃんが
私にいうのはこればっかりだった
大丈夫だよと返しながら
忙しいのには変わりなくて
私は全然おばあちゃんに会えなくなった
私が昔
塾に行く時も、駅に送ってもらう時も
わざわざついてきてくれて
わたしを見送る
おばあちゃんは後部座席で座ってた
飴をくれたり、これでご飯を食べなと
幾度もくれた千円札を
私は一生
忘れられないんだろう
1月18日
おばあちゃんが亡くなった
私が生まれた後母が結核になった関係で
おばあちゃんに育てられた期間があるけど
戻ってきた母はぶくぶくに太った私を見て
大笑いしたらしい
泣くたびにミルクを与えてくれた祖母を
とても大切に思う
私を怒ることを一度としてしなかった
母を怒るのすら聞いたことが無くて
私にとって唯一無二のおばあちゃんが
いなくなってしまった
それはわたしにとって2度目の
大切な人の死で
2度目の苦しい葬式だった
母の涙を拭きながら思うことは
たくさんあった
赤い車のドアが締まる
振り返らなくてもわかる
いつもそうだから
母は私がこの駅の階段を登りきるまで
私の姿が見えなくなるまで私を見ている
車は発進しない
手を振っていつもの京成線
新しく待合室ができてる
引き戻される
向かいの女子高生がパンを食べてる
この世から大切な人がいなくなっても
私は月並みなことしか言えないのに
居ても立っても居られないから
こうやって誰かに聞いて欲しくなる
何もなかったように過ごして
確実に変わった生活を見下ろす事は
とてもかっこいいように思えるけど
わたしはだめだなあ
帰り道
車からの景色で
back numberのsympathyを思い出しました
つくづく私は
back numberに構成された青春でした
月が本当に綺麗な夜でした
目があったらそらさないで
ねえ家の前に物を置いておけば
リセットさんは出てこれないんじゃない?
朝から通信して果物を交換しよう
金のバラを量産したから山分けしよう
家の中でスコップを出して
こうすれば裏技だから
ポッキー村のぱら子は親友
ふわふわ村に住んでるあの子
私も橋が3本ある村が良かったなぁ
また朝まで桃鉄しようねみんなで
たまごっちは1つしか持ってなかった
シルバニアも友達ので遊んだし
ラブアンドベリーもハマらなかった
犬アレルギーのくせに
ニンテンドックスのチワワをやっていたし
ダレンシャンもブンダバーも
全部読んだのにもうほとんど覚えてないや
日が暮れるまでが遊んでいい時間だったあの頃
冬の夕方5時は暗くて
家までの田舎道が少し怖かった
低学年の頃私が秘密基地を作ったくぼみは
中学になると草が茂って
来月には埋め立てて畑になるらしい
何も変わってないように見えるけど
久しぶりに歩く通学路はボコボコで
ヒビの入ったコンクリートが
私とは違って
忘れずに年月を数えてる
ハタチになる
もう二度と
ここまで大勢の小学、中学の友達が
一堂に会することは無いんだろうね
グランドタイムに外に出なかったら
帰りの会まで言われ続ける事
ドッジボールよりもおにごっこの方が
運動音痴には辛い事
放課後みんなで集まった改善センターも
今はタクシー会社に変わった
大好きだった
60円のコロッケのお店も
もう無いんだ
散々集めたメモ帳とレターセットも
いつの間にか残ってなくて
腐る程集めた文房具を
少しずつ捨てながら引っ越した
坊主で丸くて可愛かった男の子が
パーマをかけて大人っぽくなってるように
ポニーテールしか知らない女の子が
可愛いボブヘアーに変身してるように
あの頃私たちにとって
当たり前にあったものがもう無い
当たり前にそばにいた人が
今はそばに居ない
あの頃のみんなの夢を覚えてる
流行ったプロフィール帳に書かれた夢の部分を
今でも引き継いでいるのは誰だ
パティシエ、トリマー、獣医
プロ野球選手、消防士、公務員、美容師…
下駄の紐に足を痛めながら
ちゃんと覚えてる
今度はもう二度と会えない人が
この中にきっと居る
何年か後
見つけても
目をそらさないでいられるように
そらさないでね
トランペットになれたのは幸運だった
最後まで部活や何かをやり遂げられたのは
中学校だけだったなぁ
いろんなことを経験した中学で
もう顔を見てもすぐに名前を思い出せない人が
この5年間で
こんなにも増えるとは思ってなかった
それまでずっと
雨続きだったのに
成人式は晴れた
ピンヒールが土に刺さってつっかえて
綺麗になった女の子と
かっこよくなった男子
お酒で顔を赤く染めた後
別れの挨拶もほどほどに
中学時代片思いしてた先輩は
ここには居ない
もう会えないかもしれない人に
懐かしさを感じて締まる夜
成人おめでとう㊗️
オンリーワンでいたい
馬鹿ばっかりだァみゃーくのやつぁ
あだまの良いのは島さ出てから戻ってかんや
宮古島のおっつぁんの言葉
オジーの名前は
喜屋武(きゃん)という、宮古島でも多い名字らしい
笑うなよと言いながら笑いを誘う彼の話では
ところどころ間違いやド忘れがあったけど
私がいままで疎かにしてきた
歴史や地理の知識が感じられた
内地で働いて居たのに
島に戻ってきた彼
なんでもオジーに聞きなさい
なぁんでも年寄りから学びなさい
都道府県もちゃんと言えねぇようなヤツァが
いまでぁ年収1000万だよ
ワカらねぇやんな人生
オジーのだんご三兄弟の一番上だぁ
もう島さ帰ってこん
オジーは安楽死が一番だと思ってる
無理に生きるよりぜってぇいいさ
オジーのオバーが死んだ時
そう思ったさ
変人ダロォ
こんなヤツァ他にぁいないだろう
この世の中は
医者が一番儲かるようになってんダァ
アイツラァはダメだ
上品さが必要ダ
エレガントだヨゥ姉ちゃん
これだけは年を食ってもなくならねんだ
喜屋武さん多分
島にあなたがいるなら
島の人はみんな馬鹿とは言えないね
さて
飲もハイ宮古島
どんなに静かな人でも心のどこかでは
自分は
ほかの誰かとは少し違う
自分が一番変人である
変わっていて唯一無二であると
人とは違う自分だけの何かを
アピールしたいという気持ち
そういう気持ちの破片くらいは
抱えてる気がしてるんです
オンリーワンでいたい
痛いほど理解できてしまう
私はまだ未熟で何もできないけれど
やれば出来ると思いたいし
いつかビックなことをしでかせると
信じてやまない心を
殺すことができない
それが若さかも知れない
傲慢な無知かも知れない
それでも自分だけは
自分だけは
特別だと信じそうになる
ほんとうは
大してみんな変わらないのに
誰かに特別を認めて欲しい気持ちが
いつになっても消えないんだろうなぁ
喜屋武オジーの変人アピールが
それを私に気付かせた
同様に
五万人弱の小さい島
みゃーく(宮古島の人)が言う
宮古島は沖縄の中でもちょっと違う、
少し癖がある
確かにそんな感じはした
きっとずっと宮古にいたら
宮古島を客観視できなくなって
自分たちのルーツを独自性を
信じてしまうような気がした
それはきっと素敵な事だけど
同時にそれを声に出して伝えないと
押し殺されてしまう気がして怖い
宮古島で
島の言葉を話せるのはもう
親より上の世代
失われていく文化も言語も
誰かが引き継がなければ
簡単になくなってしまう
生まれ持った自分の属性を
人一倍大切にしているのが
宮古島でした
千葉の印象は
東京で聞くと
そこそこ知られているけど
沖縄はそうじゃない
そう言う人たちの千葉のイメージは
ミッキーマウスと
木更津のヤンキー
木更津に行ったことのない私と
ミッキーマウスに会ったことのないみゃーくが
千葉について語れるはずも無い
私は自分の生まれた県のことすら
知り尽くしてはいないのだと
沖縄の距離感すら
把握できていないのだと
ちなみに「宮古」と発音するときは
‘やかん’のイントネーションではなく
‘みかん’の方です
宮古島で
自分がまだ何者でもないことを
認めざるを得なかった
何者かになれるだろうと
何も行動せずとも信じてやまない自分を
すごく恥じた
行ってよかったと
心から言える9日間で良かった
やっぱりいつか戻ってきたいです
宮古島での9日間の詳細はこちら
https://lineblog.me/nabenabesokoari/archives/1438954.html
カーネーションの花束
ここへ来る汽車の窓に、曼珠沙華が一ぱい咲いていたわ。 あら曼珠沙華をごぞんじないの?
あすこのあの花よ。 葉が枯れてから、花茎が生えるのよ。
別れる男に、花の名を一つは教えておきなさい。 花は毎年必ず咲きます。
ー川端康成 化粧の天使達 花
男の人に花を贈るというのを
ずっとやってみたかった
女の子は結局花が好きだけれど
私は男の人にもプレゼントしたかった
電車や街中で花束を持っている男の人を見ると嬉しくなった
その花束が誰かに貰ってたものでも
これから誰かに贈るものでも
どちらにせよとっても素敵だと思う
ところでこの川端康成の詩は
非常にメンヘラだと思う
別れるくせに、毎年思い出して欲しいなんて
凄く女々しい思考
曼珠沙華というのは彼岸花のことで
そこそこ不吉な花言葉もついてる
彼岸花には毒があるし墓地に植えられる不吉なイメージがあるけど、外国人には人気だし
その赤い色から情熱っていう花言葉もついてる
ま、そんなのはどうでもよくて
きっと共感され続けるだけの理はある
私が次に付き合う男の人には
秋が来るたびに金木犀の香り大好きアピールをして
別れても毎年あの甘ったるい香りで絶妙にエモくなってもらうことに決めている
そういうちょっと安そうな女で良い
ムーンダストっていうのは
青いカーネーションのことなんですけど
カーネーションにはもともと青の色素がないので
青いカーネーションを作るのには時間がかかったから
幸せを願うっていうコンセプトがあるんですよ
なんでちょっと詳しいのかって
花言葉とかを狂ったように調べていた
乙女の黒歴史時代を経て
今の私があるからなんですけど
昼過ぎの渋谷区で
若くてファッショナブルなお兄さんが
一人で花屋に立っていた
カーネーションやかすみ草は
長く持つと言うから選んだ
ニコリともせずに淡々と話すお兄さんは
ちょっと東京の色をしていた
Y3の可愛いスニーカーに
デザイン性の高い黒のトップスを着て
身長が高いからカーネーションを引き抜く仕草すら様になって
勇気を出して降りた表参道のおしゃれさと
おんなじ匂いがしてた
一昨日買ったヒールの靴擦れを気にしながら歩く私は
そんな場所には似合わない気がした
それで
私が選んだのは青いカーネーションだった
永遠の幸福
もうその日で終わりにするつもりのその人に
渡すには少し酷な花言葉で
4度目の銀座 20時 A13出口
別に付き合っていたわけじゃないのに
煩わしかった時間の方が多かったはずなのに
いざさよならになると
なんとなくさみしい気もした
20時半
その人から貰ったものはまだ私の手元にある
タイのお土産の匂いの強いハンドクリーム
仕事で扱っていた商品のサンプル
いつ使い切るかもわからない
私があげるはずだったのは
明日からどんどん萎れていくこの花
なのに
21時
やられた
してやられてしまった
まさかと思っていた
一時間経っても連絡は無く
右も左も分からない銀座に
私は1人だった
あまりに私が忙しいと言っていたから?
ずっと曖昧なままにしていたから?
頭の中はハテナでいっぱいだった
先手必勝
最後に負けたな〜
勝ち負けじゃないとわかっているけど
思った時に行動しないと、
いろんなものを逃すし
今わたしに残ってるのは
今日渡すはずだった花と
話すべきだった話
話さなきゃいけなかったこと
このカーネーションは
ドライフラワーにして燃やそう
めんどくさいこの気持ちと一緒に
仲良くなりたかった新人のバイトに連絡先を聞かないまま次に出勤したら
辞めていたとかそういう
全てはタイミングなんだぞ
と言わんばかりの教訓
わたしはあと何度経験するのだろうか
困った
汚い言葉を借りれば
わたしが捨てるはずだったのに捨てられた
切ろうと思っていたのに切られた
当たり前のことなのかもしれない
こんな私だから
そうされて当然の報いなのかもしれない
甘えてはいけない
優しさに
つけ込まれてはいけない
人はそこまで待ってくれない
後回しにしている全てのこと
もう待てないとか
手遅れになる前に
清算しなくちゃな
『チャンスの神様には前髪しかないんだよ』
高校の時の可愛い先生のことを思い出した
全然器用に生きられないねえ
風がとても冷たかった