毎日が後の祭り

いまはなにものでもないわたし なにものかになれますように

スーパームーン

703号室

いつも人前で絶対に入れ歯を外さないおばあちゃんの

歯がない声を

初めて聞いた

 

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引越し祝いにと言って

おばあちゃんがくれたイチゴは

とても赤くて綺麗な形だったけど

固くてそんなに甘くなかった

顎関節症の私には

イチゴが噛めないなんて、

と軽く衝撃だった

私はちゃんと

おばあちゃんに

イチゴ美味しかったよと言ったっけ

 


電話がなるたび怖かった

訃報の電話なんじゃないかと怖かった

いつ行くかわからないんだって

震える母の声も

あやちゃんの成人式見たかったなぁ

という祖母のか細い声も

全部思い出すだけで胸がザワザワして

全身が赤く染まる

目頭に集まる熱を

必死に冷ましながら声を出す

電話越しに聞く母の声は

私よりもしっかりしていた

 

 

 

頑張れやって言ってももう苦しいんだと

頑張れねえやあ

って言われちゃったよ

そう言ったおばあちゃんを想像できてしまう

もうなにも考えられなくて

ぐわんぐわんの私と

肉声を聞いた母はどれほど

辛いんだろう

 


悲しかった

1か月もろくに食べてないおばあちゃんも

胆石の手術がうまくいったくらいでは

家に戻ってピンピンできると

本気で思っていたはずがない

 


これでもう少し調子が良くなれば帰れるね

気休めに言ったのか本気だったのか

本気で願っていた叔母と

声にならなかった私

おばあちゃん来たよ 頑張って   しか

声には出せない

言いたいことも伝えたいことも山ほどあるのに

声には出せない

 


もうほとんど骨と皮だけのおばあちゃんを見て

入れ歯のない口で

たくさんの息を使って

あやちゃんと呼んでくれるおばあちゃんを見て

わたしは

完璧な笑顔を捧げることも

とても難しいことに感じた

 


母はバイト三昧のわたしに

お前も頑張れよと残して電話を切った

 


涙が溢れないようにレポートを打った

わたしは

たった1人の

おばあちゃんが死ぬかもしれないのに

マーケティングのレポートを打つ手は動かせた

時間通りにレポートを提出した

 


結局

成人式の後

おばあちゃんの病室に行くことができた

モルヒネで目を開けることも難しい

誰が来たかもよくわからず

手を動かすのもやっとだと聞いていたのに

 


おばあちゃんは

私を見た

しっかりと目を開けて

私に触れようとした

 


着物が好きなおばあちゃんは

もう何年も前から

あやちゃんの成人式の話をした

髪飾りは、帯は

何色を着るの

なんでも似合うよあやちゃんなら

 


毎年毎年わざわざ

浴衣を買ってくれようとしたし

お母さんに縫った

手縫いの浴衣は何着も家に保管してある

緑の祖母の手縫いの浴衣を着た時

いつもよりずっとはしゃいで喜んでいたなぁ

 


私の振袖を何度も何度も撫でながら

疲れちゃうから手を下ろしなと

叔母に言われても

ずっと両手を開いて手首を動かして

綺麗だよ

とっても綺麗だと

全身で表現する祖母に

涙が止まらなかった

 


私の振袖を見つめながら

買ってくれようとしていた髪飾りを見せて

やっとの思いで手を近づけて

私に触れる

顔を触る祖母の口はずっと開いたままで

息をする音だけが病室に響く

 


大きく手で丸を書いて

言葉にならない声で

世界一だと言ってくれる

 


私を世界一綺麗だなんて褒めてくれるのは

おばあちゃんしかいない

 


おばあちゃんはうちに来るたび

わたしをそんなふうに喜ばせては

シワシワの手で

また来るねと毎回私の手を握る

 


きっとこれが最後だね

母の言葉にまた泣けた

病室を出る時

おばあちゃんはもう私を見れなかった

 


思い返せば

「あやちゃん、あんまり頑張るなや」

最近のおばあちゃんが

私にいうのはこればっかりだった

 


大丈夫だよと返しながら

忙しいのには変わりなくて

私は全然おばあちゃんに会えなくなった

 


私が昔

塾に行く時も、駅に送ってもらう時も

わざわざついてきてくれて

わたしを見送る

おばあちゃんは後部座席で座ってた

飴をくれたり、これでご飯を食べなと

幾度もくれた千円札を

私は一生

忘れられないんだろう

 


1月18日

おばあちゃんが亡くなった

 


私が生まれた後母が結核になった関係で

おばあちゃんに育てられた期間があるけど

戻ってきた母はぶくぶくに太った私を見て

大笑いしたらしい

 


泣くたびにミルクを与えてくれた祖母を

とても大切に思う

私を怒ることを一度としてしなかった

母を怒るのすら聞いたことが無くて

私にとって唯一無二のおばあちゃんが

いなくなってしまった

 


それはわたしにとって2度目の

大切な人の死で

2度目の苦しい葬式だった

 


母の涙を拭きながら思うことは

たくさんあった

 


赤い車のドアが締まる

振り返らなくてもわかる

いつもそうだから

母は私がこの駅の階段を登りきるまで

私の姿が見えなくなるまで私を見ている

車は発進しない

 


手を振っていつもの京成線

新しく待合室ができてる

 


引き戻される

 


向かいの女子高生がパンを食べてる

 


この世から大切な人がいなくなっても

私は月並みなことしか言えないのに

居ても立っても居られないから

こうやって誰かに聞いて欲しくなる

 


何もなかったように過ごして

確実に変わった生活を見下ろす事は

とてもかっこいいように思えるけど

 


わたしはだめだなあ

 


帰り道

車からの景色で

back numberのsympathyを思い出しました

つくづく私は

back numberに構成された青春でした

月が本当に綺麗な夜でした