シャンパンフラッシュの街

小学生の時からオシャレな街といえばパリだった。
可愛い文房具や小物にはいつもエッフェル塔がプリントされていたし、あの頃は名前も知らなかった凱旋門は憧れのパリの建造物だった。
世界の町の名前が入っていたらかっこいいと思い込んで
メールアドレスにParisを入れた。
Parisに行ったことも無い私が
そのメールアドレスをもう8年も使い続けていたなんて笑える

東京タワーやスカイツリーにも何度か登ったけど
ついに夢見たエッフェル塔に登ることができた
自分で遠い国の憧れの場所に行けてしまう
少し大人になってしまったことが切ない
ダイソーで集めたエッフェル塔の形をした置物を眺めて写真を撮っていた頃の私には
もしかしたら
もう戻れないのかもしれない

パリのかっこいい人や街を見て思う
私の長らく憧れていた街は裏切らなかった
右も左も映画みたいで
どれもカッコいい雑誌で見たような風景だった
例えば私が
いつかこういうところに住んで
今見える人たちのようにかっこよくなって
スタイリッシュなひとになれても、
いくら時間がかかっても
本当のパリジャンにはなれない気がしてしまう
私のルーツは悔しくも既に
紛れもなく日本にあって
日本語で作られて、
日本の文化で染め上げられている
日本を出たいと何度思って
海外に旅行に行く度に
嫌なところばかり見ていた日本の良いところが見えてしまって邪魔をする
きっとどんなに好きでも
私がパリに染まり上がる未来は見えない

指先を冷たくしてセーヌ川
クルーズから見える可愛くてお洒落で統一された建物が全部嘘みたいだった
エッフェル塔でさえ本物に見えなくて
私はパリにいるという実感が全然無かった
夢が1つ叶ったというより
叶ってしまったという方が正しい気がする
目指してきたものに辿り着いてしまえば
次に見上げるものは一体何
少しの虚無感と一緒にセーヌ川で2時間流された
かじかんだ手で嘘みたいな本当を写真に撮り続けた

旅先でやっと連絡が取れるようになった時
一番に連絡をしたいと思える人が
たしかに私にはいない
何してるか四六時中気になるような想い人がいたらどんなに幸せだろう
似通った生活を送っていたはずの親友と
全然違う道で
いつのまにか全然違う感性が生まれて
お互いの知らない世界を互いに見てきて
不透明な事実が増えて行く
お互いのことならなんだって知ってたあの頃とは確実に違う
それが寂しくて少し誇らしい
その人のことなら
なんでも知りたいと思える人が
私には何人いるかな

「私たちパリジャンはパリの鼓動を感じるためだけに歩き回ります 」
語学学習CDみたいな喋り方の音声ガイドがイヤホンから高々と話す
たしかにパリの街を歩くのは楽しかった
鼻が高くて彫りが深くて
映画の主人公みたいな人がいっぱいいる通り
緑や真っ赤なコートが
これ以上ないくらいに似合って
足音さえ街を彩る
オシャレにいくら疎くても
全部疑いようのないくらいオシャレに見えた
アジアの旅行客の私の顔は似合わないように思える
それでも穏やかで甘く凛とした街の雰囲気に包まれて
考えた
学生時代から海外に飛んで
語学留学とかなんとかたくさん理由をつけて
自分の成長過程に海外を組み込む
自分のルーツやアイデンティティを日本だけのものにしない生き方は
もう遅いんだろうか
それを選んでも
将来正解だったと生き抜く覚悟は
私にはまだ無い

「個を大切にする国だよ」
尊重され得る個が、私にはあるだろうか
「将来何になりたいの?」
っていう質問に
お花やさんとかパティシエって答えてた頃とは違う
もっとずっと現実味を帯びた近い将来が怖い
将来はパリジャンになって
鼻と背が高くてかっこいい人が恋人で、
チーズとワインとフランスパンに囲まれたい、くらい思い切りのいいことを言えたら良かった
やりたいことが見つからないなんてぬるい事を言ってる暇があったら
昔憧れてたものを全部試してみようと思った

地下鉄で迷ってスリにおびえて
ディズニーではしゃいだ
エッフェル塔に登ってパリを歩いて
死ぬほど臭いチーズを手でちぎって完食
慣れないBonjourの発音に恥ずかしくなりながら
拙い英語でやりくりして
もう余裕なんてない
全てが精一杯だったけど
最高に楽しいパリでの3日間だったなぁ
一度も晴れなかったけど
曇りも雨も素敵にしてしまう都市だ
パンパンで重くなったスーツケースを
両手で押して
お菓子を肩から下げながら
パリに憧れを置いてきた
いつかまたあの嘘みたいに美しい街を
しっかり見れるような人になるまで